
文化の盗用ってどういうことなのかな。
たまに西洋圏の人たちが騒いでるけど、ちょっと理解できないんだよね。

日本人には文化盗用という発想がほとんどないからな。

「多数派・西洋・白人」から文化を取り入れるのはいいが、
「少数派・東洋・黒人や黄色人」から取り上げるのはダメ、というのが一般的だ。

あ、だから日本が西洋のスーツや建築物を真似しても怒られないんだね。

そう。西洋人は自分の文化(宗教)を他人に押し付ける側だから気にしないんだ。
日本も西洋のように「使いたければ持っていけ」「文化が広まるのだからいいこと」と思っている派だが、西洋人はそうは思っておらず、
少数派の文化は守らなければいけない→だから日本の着物を白人や黒人が着ると「文化の盗用だ!」と騒ぎ出すわけだ。
日本は立場が弱いマイノリティーと見なされていて、
文化の盗用をやめろと言っている人たちは、日本の文化を守ろうとしてくれているのだろう。
(ただし、中国や日本の場合はマジョリティーと見なされる場合もある)

あのヨーロッパが、他国に自分の文化や宗教を押し付けるのをやめた上に、少数派の権利を守ろうとするなんて…!

大人になったよな。
今の西洋人は、特定の文化に根ざした衣服やデザインは、まず当事国の人が使用できる環境になければならないと考える。
少数派の文化を多数派が流用すると、多数派によって元の文脈から外れて使用される可能性があり、先住民文化の搾取・破壊の一歩と見なされるからだ。
日本人は西洋の奴隷にならないために戦った種族であり、独自の文化を守り通した国だからいいが、
かつて植民地化され、奴隷とされたアジア・アフリカの国々にしてみれば、この上自分たちの文化を奪われることは、さらなる尊厳やアイデンティティの殺戮に等しい。
つまり、歴史的に見れば今更ながら、西洋圏にも
「文化的コンテクストが尊重されないままマイノリティーの文化を不当に搾取・盗用するなどもってのほか!」
という意識が働くようになってきたらしい。

上流から下流に流れる文化と違い、
下流の文化を流用することは、それほどに罪深いということなんだね。
少数派の文化を強奪してしまうと、少数派がそのエキゾチックかつソウルフルな文化で経済活動を行うこと(=頑張って豊かになること)を阻止することにもつながる。
最近ではこれが行き過ぎて、他文化をインスピレーション源にすることも文化の盗用にあたると言われるようになったほどだ。
「それだと、クリエイターが何も見れなくなるし、何も作れなくなるのでは?」
「文化において盗用と呼ばれるものは、盗用ではなく、複雑な相互作用があるだけだ」
そういう主張もある。
だがその場合でも、インスピレーションを受けた側は自分が生み出した文化から利益を得るが、その反対は儲けがゼロだ。
フェアではない、ということになる。

難しい問題なんだね。

日本は他国における日本文化の模倣を寛大に許すが、
だからといってそれを許すことができない少数派の怒りを「度量が狭い」と見なすことはできない。
「その文化が生まれた歴史を知れ」
「ちゃんと敬意を払え」
「使うなら少数派の利にも気を配れ」
という基本的なことを忘れてはいけないということだ。
もちろん日本も主張する時はちゃんと主張する。
特にキム・カーダシアンが矯正下着の名前を「KIMONO(キモノ)」にしようとした時は顕著に反応した。
下着に「キモノ」と名付けるのが失礼という以上に、
和服の着物とは明らかに異なる下着に「キモノ」という名前を使うことで文化が上書きされてしまう危険性があり、
それが商標登録されることによって英語圏での「キモノ」という言葉の意味が変わってしまう可能性があったからだ。

相手の文化に敬意を払う。
それが大切なんだね。

いまさらという話ではあるが、かつてあれだけのことをしでかしてきた西洋人にしては進歩したと言っていいだろうな。

内角キツめのボディブロー。