八百万の神
今更言うまでもないことですが、日本における「八百万の神」の「八百万」とは、799万9999の次、という具体的な数ではなく、「とにかくたくさん」という意味の「はっぴゃくまん」です。
「無量大数の神」と言わずに「八百万の神」としたセンスがここにあらわれているわけです。

「千代に八千代に」とか「八重垣作る その八重垣を」とか、なんか8が好きだよね
日本において、神のジャンル(?)は「天津神」「国津神」「民族神」「自然神」「仏教神」「人間神」「悪役神」等々、多岐に渡ります。
海外では悪さをする霊や道徳的なルールを守らない存在に「神」という称号を与えませんが、日本ではいつでもどこでもなんでも神でした。
| 天津神(あまつかみ) 天空の世界、高天原から来た神。天照大神など |
| 国津神(くにつかみ) 葦原中国(あしはらのなかつくに)、つまり日本古来の神。大国主命など |
| 民族神 民間に信仰される土着の神。創造されたり、自然発生した。お稲荷さん、道祖神など |
| 自然神 山とか川とか |
| 仏教神 大黒天とか弁財天とか |
| 人間神 菅原道真(天神様)とか徳川家康(権現様)とか |
| 悪役神 酒呑童子とか河童とか |
昔は「神は自然に宿るもの」「山とか川とか岩そのものが神」とされ、おそらくは自然そのものや虚空に向かって祈りを捧げていましたが、6世紀に仏教が伝来してからは「神社作ろうぜ!」「祠作ろうぜ!」と湧き立ち、神道界隈にも目に見える祭祀場が設けられるようになりました。
その後、「神棚」に「神札」を供えることによって、自分の家にさえ推しの神を招けるようになったのです。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)
古代の日本人(縄文人/弥生人)は、自然の恵みを得て生活していた関係上、非常に精霊崇拝的な信仰を持っていました。
「この世に存在するあらゆるものに霊魂や精霊が宿っている」という考えをアニミズム(「アニメ」という言葉はここから取った)といいますが、これが神道の真髄です。
そんな風にイヌイットくらいの要領でのほほんと生きてきたところ、552年、第29代欽明天皇の時代に、百済経由で仏教が伝来します。
でどうなったかというと、「えー面白い考えだねー」と感心するどころではなく、「仏教を受容すべし」という考えを持つ蘇我稲目(偉い人)と「異国の神をまつるとか無理でしょ」という考えを持つ物部尾輿(偉い人)の間で対立が起きるほど朝廷が荒れたのでした。
| 崇仏派 | 廃仏派 | |
| 蘇我稲目 | 対立 | 物部尾輿 |
| 蘇我馬子(+聖徳太子) | 攻撃→ | 物部守屋 |
| 蘇我蝦夷 | …滅亡 |
結局崇仏派が勝ち、なんやかんやで仏教は日本に取り入れられることになりました。
聖徳太子(用明天皇の第2皇子にして推古天皇の甥)も仏教の興隆に尽力し、法隆寺や四天王寺を建立したほどでしたね。
「え、日本の皇族が他国の宗教を許容したの?」と思うかもしれませんが、この時は聖徳太子のスタンスはハッキリしていて、
・仏教を深く信仰するが(日本の自然神と違い、仏は人々の苦しみを救ってくれるから)、日本の神道や八百万の神々への信仰、天皇中心の国家を崩すつもりはない。
・仏教、渡来人、渡来物に対する管理・権限を蘇我氏ばかりに渡すわけにはいかない(むしろ蘇我氏の力を弱らせて政権を取り戻したい)。
そんな思惑で、「優れたバランス感覚で仏の教えを学びつつ同時進行で天皇中心の国づくりを目指す」という極めて難しいことを理知的にやってのけたのでした。
実際、日本において仏教のお坊さんが天皇の上に来たことは一度もありません。そうなるような制度を作り、ちゃんとコントロールしたというわけですね。
とはいえ、日本の神と外来の神は性質が違いますでしょ(井戸端会議のおばちゃん風)。
日本人が祈っていたのは火や水や風といった自然の神ですが、仏教の神は人の形をしていて、個々に固有の性質(階層や役割)まであるときている。
「や、自然の精霊と悟りを開いた仏神を一緒にはできなくね…?」
そんな困惑がありつつ、しかしやがてこれも「日本の神と外来の仏は同じである(いいな?)(強引)」とすることで次第に落ち着いていきました。
どういうことかというと、
・552年、仏教が伝来
・712年、古事記が完成(→天津神や国津神といった存在を確立・周知させる)
→天照大御神を「大日如来」とした
→月読命を「阿弥陀如来」とした
→須佐之男命を「牛頭天王」=「薬師如来」とした
「日本にも人間型の神はいるし、その神々は外来の神と同じなんだよ(いいな?)(強引)」としたわけです。
こうしたすり合わせを「神仏習合」といいました。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)
このように、「八百万の神」は人々を助けるために「仏」の姿で現れるんだヨ! としたことを「本地垂迹」といいます。
神が「本地」であり、仏の姿となって「垂迹」する。
あるいはその逆として、日本の神は仏の化身(権現/ごんげん)である、とされたわけです。
一見ムチャクチャですが、「神道の神と仏教の神を対立させるのではなく融合・調和させるために神に菩薩号を付した」という流れは見事ではある。
まあそんな風に、苦肉の策というか生活の知恵というか、そういうアレで押し通したのでした。

本地(ほんじ): 本来の姿である仏・菩薩のこと(例:阿弥陀如来、大日如来)
垂迹(すいじゃく): 仏が衆生を救うために神の姿となってこの世に現れること
権現(ごんげん): 本地垂迹の考え方に基づき、神を「仮の姿」として敬う呼称(例:熊野権現、日吉権現)
そしてこうなった…
・天津神
天照大御神=大日如来
月読命=阿弥陀如来
須佐之男命=牛頭天王=薬師如来
火之迦具土神=千手観音
瓊瓊杵尊=釈迦如来
天之忍穂耳命=弥勒菩薩
天思兼命=釈迦如来、虚空蔵菩薩
少彦名命=金剛蔵王権現・薬師如来
・国津神
木花之佐久夜毘売=浅間大菩薩、阿弥陀如来
大国主神=大黒天
・人神
八幡神・応神天皇=阿弥陀如来
天満大自在天神・菅原道真=大自在天、大威徳明王
東照大権現・徳川家康=薬師如来
などなど。
この考えは平安時代後期からはじまり明治時代初期まで主流でした。
今は?
1868年(明治元年)、維新政府が出した「神仏判然令」によって、神と仏がバリッと分離されています。
だもんで、今の日本人は「天照大御神は大日如来」と言われても「なんで???」としか思わないのではないでしょうか。多分。知らんけど。

神仏判然令(神仏分離令)
そもそもなんでいきなり政府が「神仏判然令」で神社から仏教的要素を取り除いたかってーと、王政復古の一環として「天皇を中心とした国家体制を築くため、神道を国教化したい!」という目的があったからでした。

そのため、浅草神社(あさくさじんじゃ)と浅草寺(せんそうじ)のように神社とお寺が分かれたんだけど…
・神社からの「寺院・神体・仏像・仏具・経文」の「移動・撤去・破壊・焼却」(→廃仏毀釈運動)
・神社に所属していた僧侶に対し、僧籍から離脱して神職となることを強制(→還俗)
・「権現(ごんげん)」「牛頭(ごず)天王」といった仏教用語を含む神名の禁止
・葬儀を仏式から神式へ転換するよう誘導
これらの政策により、寺院は廃寺や合併が相次ぎ、その数は激減。
一部ではやりすぎてしまい、政府の意図を越えた激しい「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動」に繋がってしまったのでした。
程々でよかったのに、みんなあんまり仏教好きじゃなかったんか?
この混乱は、神仏判然令が出てから2年後の1870年、政府が仏教の保護(寺院寮の設置)を打ち出したことで次第に終息していきます。
しかし、
・古代の宗教観は今の実情には合わないのでは?
・神道は、(伝統はあっても性質上)宗教化・国教化が難しいのでは?
・西洋列強が行う布教活動に対抗するためには僧侶の協力が必要不可欠では?
などの問題があり、「そもそも信教の自由はどうした?」と海外からイチャモンを付けられたこともあって、1873年、逆にキリスト教禁教令が廃止されるなどしました。いきなり横から入ってくる…。
まあ布教を許可したところで日本のキリスト教信者は総人口の1%にも満たなかったんですけども。

ちなみに「神道」と「キリスト教」の違いは明確で、
・多神教においては「世界が先、神が後」(ギリシャ神話、北欧神話、仏教、日本神話など)
・一神教においては「神が先、世界が後」(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など)
となるそうだ。
一神教では神が宇宙まで作ってしまうらしい。
そして現代
現代日本にあっては、神道と仏教は生活の中で対立することなく、目的別、役割別に心を預ける対象となっています。
神道は「初詣、七五三、地鎮祭、結婚式」など。
仏教は「葬儀、法事、お盆、お彼岸」など。
キリスト教を入れるなら「キリストの誕生日にケーキとKFC?アホなの?」と評される「クリスマス」など。
これらの折衷は節操がないのではなく、先のことや物事の本質を見据えて取捨選択し、合格したものすべてを連れて未来に行く「日本流」のあらわれなのですね。
おしまい。
