歴代天皇と日本史上の偉人たち ~えらい~

歴代天皇と日本史上の偉人たち ~えらい~

■地球、爆誕したってよ
■神話~古墳時代
初代・神武天皇/前660年~前585年・75年間
天照大神の子孫。紀元前660年1月1日に即位
2代・綏靖天皇/前581年~前549年・32年間
↓ここから
3代・安寧天皇/前549年~前511年・38年間
4代・懿徳天皇/前510年~前477年・33年間
5代・孝昭天皇/前475年~前393年・82年間
6代・孝安天皇/前392年~前291年・99年間
7代・孝靈天皇/前290年~前215年・75年間
8代・孝元天皇/前214年~前158年・56年間
9代・開化天皇/前158年~前98年・60年間
↑ここまでが実在が疑われる「欠史八代
10代・崇神天皇/前97年~前30年・67年間
開化天皇の子。記紀に事績が詳しく記されたはじめての天皇。実在の可能性がある最古の天皇だが、120歳まで生きたとされているので、信憑性に関しては微妙な点も
11代・垂仁天皇/前29年~後70年・99年間
崇神天皇の第3皇子。殉死の風習を嫌い、生きた人の代わりに陵墓に埴輪を並べることを始めたと伝えられる
12代・景行天皇/71年~130年・59年間
垂仁天皇の第3皇子。ヤマトタケルの父
13代・成務天皇/131年~190年・59年間
景行天皇の子で、ヤマトタケルの異母弟
14代・仲哀天皇/192年~200年・8年間
ヤマトタケルの第2子。妻である神功皇后が受けた信託「海の彼方の宝の国である新羅を征服せよ」を信じず、神の怒りに触れて病死する
――・神功皇后/201年~269年・68年間
69年間の摂政。夫亡き後、神託のまま新羅・百済・高句麗の三韓を屈服させる(三韓征伐)(現実にはそのような事実はなく、ただの伝説である)(239年、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送っている)
15代・応神天皇/270年~310年・40年間
仲哀天皇と神功皇后の子だが、神功皇后が神話寄りなので、ここまでを神話の世界の天皇とする説も。朝鮮半島との交流を活発化させ、多くの渡来人を招聘した。266年~413年「空白の150年」
16代・仁德天皇/313年~399年・86年間
仁徳天皇は応神天皇の第4子。困窮する民を見て3年間免税した人
17代・履中天皇/400年~405年・5年間
仁徳天皇の第1子
18代・反正天皇/406年~410年・4年間
履中天皇の弟
19代・允恭天皇/412年~453年・41年間
反正天皇の弟
20代・安康天皇/453年~456年・3年間
允恭天皇の子。色々あって従兄弟に殺害される
21代・雄略天皇/456年~479年・23年間
安康天皇の弟。九州から関東までを支配し、国力の充実に力を注ぎつつ宋に朝貢していた。かなりの暴君でもあった
22代・清寧天皇/480年~484年・4年間
雄略天皇の子。子を産まなかったので、これ以降は履中天皇の系統に移る
23代・顕宗天皇/485年~487年・2年間
探し出された履中天皇の孫。兄弟の弟の方
24代・仁賢天皇/488年~498年・10年間
探し出された履中天皇の孫。兄弟の兄の方
25代・武烈天皇/498年~506年・8年間
仁賢天皇の子。結構残虐。皇子も皇女ももうけないまま崩御した
26代・継体天皇/507年~531年・24年間
第15代応神天皇の5世の孫。頑張って探し出されるも、皇位継承に反対する勢力が強く、大和に入ることができたのは即位(58歳)から20年後のことだった。仁賢天皇の皇女を妃に迎え入れて皇統を保持した
27代・安閑天皇/531年~535年・4年間
継体天皇の第1子。この時、朝鮮半島で新羅の勢力拡大が続き、ヤマトの拠点であった任那を失う
28代・宣化天皇/535年~539年・4年間
継体天皇の第2子。大伴、物部、蘇我を大臣とする。新羅に攻め込まれた任那に救援の兵を派遣し、防備を固めた
■飛鳥・奈良時代
29代・欽明天皇/539年~571年・32年間
継体天皇の第3子。大伴氏が失脚した後、物部氏と蘇我氏の対立の渦中に置かれた
30代・敏達天皇/572年~585年・13年間
欽明天皇の子。伝来した仏教の崇拝と排斥をめぐる対立が激しかった頃の天皇。疫病の流行は仏法の災いであるとして仏教を禁じた
31代・用明天皇/585年~587年・2年間
欽明天皇と蘇我稲目の娘の子。禁じられていた仏教への帰依を表明し、病で亡くなる。聖徳太子の父
32代・崇峻天皇/587年~592年・5年間
用明天皇の弟。蘇我馬子が欽明天皇の子を殺害して皇位に就けた天皇で、その後馬子に暗殺される
33代・推古天皇/592年~628年・36年間
初の女帝。欽明天皇の子であり、用明天皇の妹(共に母は蘇我馬子の妹)であり、崇峻天皇の異母姉であり、敏達天皇の皇后。その血筋によって中継ぎの天皇となる。聖徳太子を皇太子に立て、小野妹子を遣隋使として派遣する。容姿端麗で挙措にも乱れがないと評された
34代・舒明天皇/629年~641年・12年間
敏達天皇の孫。蘇我蝦夷によって聖徳太子の子を抑えて天皇となる。隋が滅び、この時から遣唐使の時代が始まる
35代・皇極天皇/642年~645年・3年間
2回目・2人目の女帝。舒明天皇の皇后。この時、蘇我入鹿を殺害する大化の改新が起きる。弟に皇位を譲り、初の譲位例となる
36代・孝徳天皇/645年~654年・9年間
皇極天皇の弟。大化の改新の立役者である中大兄皇子中臣鎌足の熟成期間の天皇で、乙巳の変を経て即位する。最初の元号である「大化」を定めた
37代・斉明天皇/655年~661年・6年間
孝徳天皇の姉。皇極天皇が62歳で重祚した3回目の女帝
38代・天智天皇/668年~671年・3年間
舒明天皇と皇極/斉明天皇の子。いわゆる中大兄皇子。20才の時に中臣鎌足と共に乙巳の変を起こし蘇我氏を倒す。663年、白村江の戦いに敗れて防御に全振りする
39代・弘文天皇/671年~672年・1年間
天智天皇の子。乱により自害
40代・天武天皇/673年~686年・13年間
天智天皇の弟。天智天皇の子である弘文天皇と彼との戦いを壬申の乱という。大臣を置かず皇族のみで政治を行う「皇親政治」に徹する。歴史編纂事業を命じ、「古事記」と「日本書記」を作らせる
41代・持統天皇/690年~697年・7年間
4回目・3人目の女帝。天智天皇の娘で、天武天皇の妃。後に孫(軽皇子→文武天皇)を即位させ、初の上皇となる
42代・文武天皇/697年~707年・10年間
天武天皇と持統天皇の子の子(孫)。15歳で即位し、25歳で崩御する。大宝律令を完成させて施行した天皇。藤原不比等の娘を妻に迎えたことが藤原氏の台頭につながる
43代・元明天皇/707年~715年・8年間
5回目・4人目の女帝。孫(首皇子)が成長するまでの中継ぎとして即位した文武天皇の母。皇后ではない、先帝の母親が即位した稀有な事例。和銅開珎の人
44代・元正天皇/715年~724年・9年間
6回目・5人目の女帝。甥(首皇子)が成長するまでの中継ぎとして即位した文武天皇の姉。未婚の皇女が即位した初の事例。この時三世一身の法が制定された
45代・聖武天皇/724年~749年・25年間
文武天皇の子。24歳でようやく即位。唐の文化を取り入れた文化が発展し、優れた美術品が生まれた時代。天然痘の猛威に心を痛めて15メートルの東大寺仏像を造立するが、財政事情悪化、農民の負担増で餓死者を出すなど、社会情勢を悪化させた
46代・孝謙天皇/749年~758年・9年間
7回目・6人目の女帝。聖武天皇の娘で、初の女性皇太子となる。実権は母の光明皇太后と従兄の藤原仲麻呂が主導。この時代に中国から鑑真が招かれる
47代・淳仁天皇/758年~764年・6年間
天武天皇の子の子(孫)
48代・称徳天皇/764年~770年・6年間
8回目・6人目の女帝。孝謙天皇が重祚。道鏡という僧を寵愛し、政局を混乱させた
49代・光仁天皇/770年~781年・11年間
天智天皇の孫。62歳で即位し、70歳になっても元気だったが、桓武天皇に譲位し、その年の暮れに亡くなった
■平安時代
50代・桓武天皇/781年~806年・25年間
光仁天皇の第1皇子で後の桓武平氏(平家)の祖。母はかつての百済王の子孫。色々あって平安京に遷都。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命、蝦夷討伐に向かわせる(妻は鈴鹿御前)。この時代に最澄と空海が中国に留学→戻ってくる
51代・平城天皇/806年~809年・3年間
桓武天皇の第1皇子。財政難を立て直したが妻の母を寵愛する。病弱だったため弟に皇位を譲る
52代・嵯峨天皇/809年~823年・14年間
桓武天皇の子で平城天皇の弟。唐風文化を興隆させた。流麗な筆致の書を残しており、日本三筆の一人に数えられる。歴代天皇の中で最多、50人の子をもうけた。坂上田村麻呂に助けられて諸々のちょっかいを制圧する
53代・淳和天皇/823年~833年・10年間
桓武天皇の子(平城天皇・嵯峨天皇とは腹違い)。地方支配の強化に取り組む。小野小町が生まれた
54代・仁明天皇/833年~850年・17年間
嵯峨天皇の子
55代・文徳天皇/850年~858年・8年間
仁明天皇の子
56代・清和天皇/858年~876年・18年間
文徳天皇の子。母が藤原良房の娘なので、9歳で即位した後、藤原良房が政治の実権を握る(非皇族によるはじめての摂政)。この清和天皇の子孫から後の清和源氏(源家)がうまれる
57代・陽成天皇/876年~884年・8年間
清和天皇の子。9歳で即位し、やはり藤原氏が摂政となる。性格に難があり、16歳で皇位を廃される
58代・光孝天皇/884年~887年・4年間
仁明天皇の第3皇子。54歳で即位し、3年ほど後に病で崩御する
59代・宇多天皇/887年~897年・10年間
光孝天皇の第7皇子。これ以上の藤原氏の外戚化を防ぐため、菅原道真を抜擢する。遣唐使を廃止する
60代・醍醐天皇/897年~930年・33年間
宇多天皇の子。摂政・関白を置かず親政を実現して「延喜の治」と賛美されたが、菅原道真を左遷させられ、再度藤原氏の権勢を許してしまう。晩年は菅原道真の怨霊を恐れるようになり、病に伏して譲位した
61代・朱雀天皇/930年~946年・16年間
醍醐天皇の第11皇子。藤原忠平に政治を主導される。富士山の噴火、地震、平将門の乱、藤原純友の乱などの騒動が頻発し、いずれも菅原道真の祟りと噂された
62代・村上天皇/946年~967年・21年間
朱雀天皇の弟で醍醐天皇の第14皇子。関白を置かず、自ら財政の健全化に努めたことが「天暦の治」と絶賛された
63代・冷泉天皇/967年~969年・2年間
村上天皇の第2皇子。ぼーっとした人なのだが、祖父である藤原師輔に推されて即位した
64代・円融天皇/969年~984年・15年間
村上天皇の第5皇子。11歳で即位し、藤原氏が摂政となる。色々疲れて皇位を譲る
65代・花山天皇/984年~986年・2年間
冷泉天皇の子。17歳で即位し、2年後に退位する
66代・一条天皇/986年~1011年・25年間
円融天皇の第1皇子。祖父である藤原兼家が摂政となり、「一帝二后」を強行された。崩御後、「王が道理にかなう政治をしようとすると、邪悪な臣下が国を乱れさせる」というメモが見つかったとか。紫式部、清少納言とも近しく、陰陽師である安倍晴明を支援したことも記録に残っている。愛猫家
67代・三条天皇/1011年~1016年・5年間
冷泉天皇の第2皇子。藤原道長の全盛期で、譲位を迫られ5年で退位した。「自分の身体の加減がいいと左大臣(道長)の機嫌が悪い」とぼやくほど不仲だったとされる
68代・後一条天皇/1016年~1036年・20年間
一条天皇の子で藤原道長の孫。9歳で即位し、道長を得意の絶頂にさせる。29歳で崩御
69代・後朱雀天皇/1036年~1045年・9年間
一条天皇の子で後一条天皇の弟。どうしても政治の実権を取り戻せない
70代・後冷泉天皇/1045年~1068年・23年間
後朱雀天皇の子。藤原氏の言いなりで、朝政に関心を示さない
71代・後三条天皇/1068年~1072年・4年間
後朱雀天皇の子で後冷泉天皇の異母弟。藤原氏を外戚としない170年ぶりの天皇で、そのしがらみのない親政は「延久の善政」と呼ばれた
72代・白河天皇/1072年~1086年・14年間
後三条天皇の子。退位後も上皇として40年も実権を握った院政の確立者
73代・堀河天皇/1086年~1107年・21年間
白河天皇の子。8歳の時に譲位され即位したが、白河上皇の傀儡に甘んじるしかなかった
74代・鳥羽天皇/1107年~1123年・16年間
堀川天皇の子。白河上皇に実権を握られ続けたが、白河上皇が亡くなると自分が院政を主導した
75代・崇德天皇/1123年~1141年・18年間
鳥羽天皇か白河上皇の子。鳥羽天皇/上皇の意向で5歳で即位し23歳で異母弟に譲位させられる。菅原道真、平将門と共に日本三大怨霊に数えられる
76代・近衛天皇/1141年~1155年・14年間
鳥羽天皇の子。病により17歳で崩御
77代・後白河天皇/1155年~1158年・3年間
鳥羽天皇の子で崇徳天皇の同母弟。即位3年で二条天皇に譲位。以後5代、30年に渡り院政を行う。平清盛と組んで実権を握るが後に清盛のクーデターで幽閉、その後なんやかんやで衰退する。源頼朝の討伐をその弟である義経に命じるなど、権謀術数の限りを尽くした
78代・二条天皇/1158年~1165年・7年間
後白河天皇の子。父の院政に実権を握られ続け、重病により23歳で亡くなる
79代・六条天皇/1165年~1168年・3年間
二条天皇の子。父の病気のため生後7か月で即位し、3年で譲位する。後白河上皇がみてる
80代・高倉天皇/1168年~1180年・12年間
後白河天皇の子。母が平氏系
81代・安德天皇/1180年~1185年・5年間
高倉天皇の子。平清盛の娘を母親に持つ。3歳で即位。その後、壇之浦で三種の神器を身につけた尼と共に入水したという(八尺瓊勾玉と八咫鏡は源氏軍が確保、草薙剣は海に沈んだとされている)(諸説あり)
■鎌倉・室町時代
82代・後鳥羽天皇/1183年~1198年・15年間
高倉天皇の子。平氏が安徳天皇と三種の神器と共に都落ちしたため、神器がないまま異例の即位。譲位後上皇となっても宝剣探索を諦めなかった。朝廷VS幕府の戦い(承久の乱)に敗北、隠岐に流され(武士が皇族を罪人とした初めての例)、同地で崩御する。皇室の菊紋の創始者
83代・土御門天皇/1198年~1210年・12年間
後鳥羽天皇の子。源道親の画策により4歳で即位し、後に弟に譲位する
84代・順德天皇/1210年~1221年・11年間
後鳥羽天皇の子。父の討伐計画に積極的に関与し、佐渡に流される。挙兵直前に子に譲位していた
85代・仲恭天皇/1221年~1221年・0年間
順徳天皇の子。4歳で即位し、京方の敗北を受けて、約80日で退位する
86代・後堀河天皇/1221年~1232年・11年間
後鳥羽上皇の兄の子。急遽探し出され、10歳で即位
87代・四条天皇/1232年~1242年・10年間
後堀河天皇の子。2歳で即位し、不慮の事故により12歳で亡くなる
88代・後嵯峨天皇/1242年~1246年・4年間
土御門天皇の第2皇子。即位4年で子に譲位し、その後院政の制度化を進めた。親幕派
89代・後深草天皇/1246年~1259年・13年間
後嵯峨天皇の子(兄)。4歳で即位し、17歳で父により弟に譲位させられる。また、自分ではなく弟の子が立太子したことが兄弟の確執となり、北朝の祖(持明院統)となる
90代・龜山天皇/1259年~1274年・15年間
後嵯峨天皇の子(弟)。蒙古の襲来を退けた後、鎌倉幕府に提案された両統迭立(りょうとうてつりつ/交互に主君を即位させる)を実行し、南朝の祖(大覚寺統)となる
91代・後宇多天皇/1274年~1287年・13年間
亀山天皇の子。「両統を交互に」という提案のもと、まずは弟側の血筋の子が皇位につく
92代・伏見天皇/1287年~1298年・11年間
後深草天皇の子。兄側の血筋の子にバトンタッチしたが、交互にという約束を破り失墜する
93代・後伏見天皇/1298年~1301年・3年間
伏見天皇の子(兄側の血筋)。11歳で即位し、幕府の意向により3年で退位する
94代・後二条天皇/1301年~1308年・7年間
後宇多天皇の子(弟側の血筋)。17歳で即位し、7年後に発病後、1ヶ月ほどで急死した
95代・花園天皇/1308年~1318年・10年間
伏見天皇の子(兄側の血筋)。以後幕府は「皇位の継承は話し合いで決めて」と伝達
96代・後醍醐天皇/1318年~1339年・21年間
後宇多天皇の子。本来の次期天皇が幼少であったため、中継ぎとして31歳で即位した。父である後宇多法皇から政務を奪還し、249年ぶりに親政を実現する(院政の終焉)。討幕を狙っていたが二度失敗、流刑となるも、足利尊氏などの活躍により1333年、鎌倉幕府が滅亡する(→そして室町幕府開幕へ)。なんやかんやあって三種の神器を携えて吉野(奈良県)に下り、南朝1代となる(南北朝時代)
97代・後村上天皇/1339年~1368年・29年間
後醍醐天皇の子。南朝2代。一時的に彼だけが唯一の天皇になった時もあった(正平の一統)
98代・長慶天皇/1368年~1383年・15年間
後村上天皇の子。南朝3代。北朝に対して強情。南朝の衰退著しい時代
99代・後龜山天皇/1383年~1392年・9年間
後村上天皇の子で長慶天皇の弟。南朝4代。「自らの運命より民の苦しみを休めたい」として三種の神器を北朝に渡し約60年ぶりに南北朝の合一を果たすが、和睦の条件を反故にされ、抗議のために引きこもった
北朝1代・光厳天皇/1331年~1333年・2年間
後伏見天皇の子。室町幕府に擁立された天皇。結構連れ去られる
北朝2代・光明天皇/1336年~1348年・12年間
後伏見天皇の子で光厳天皇の弟。京都を制圧した足利尊氏に擁立され、三種の神器なしで即位した
北朝3代・崇光天皇/1348年~1351年・3年間
光厳天皇の第1皇子。15歳で即位し、3年後に正平の一統で退位する
北朝4代・後光厳天皇/1352年~1371年・19年間
光厳天皇の第2皇子。北朝の上皇と皇太子が南朝に連れ去られ、厳しい状況下で即位した
北朝5代・後円融天皇/1371年~1382年・11年間
後光厳天皇の子
100代・後小松天皇/1382年~1412年・30年間
後円融天皇の子。南北朝合一が実現し三種の神器を引き継いで第100代天皇に
101代・称光天皇/1412年~1428年・16年間
後小松天皇の子。本来であれば南朝の天皇が継ぐところ、幕府の意向でこのような形になった
102代・後花園天皇/1428年~1464年・36年間
崇光天皇のひ孫。一揆、乱、飢饉、災害など即位中は波乱万丈。しかし在位期間は長く、親政を行い、幕府の悪政を諫め、「聖主」と称えられた。上皇時代に応仁の乱が起こり、最終的に己の不徳をさとり出家して、その身の処し方を称賛された
■戦国・江戸時代
103代・後土御門天皇/1464年~1500年・36年間
後花園天皇の子。即位した3年後に応仁の乱が勃発する。戦いは11年続き、幕府と共に皇室も弱体化したが、戦後は祭儀の研鑽を重ねた。59歳で崩御したが、朝廷は葬儀費用を調達できず、遺骸が43日も御所に放置されたという
104代・後柏原天皇/1500年~1526年・26年間
後土御門天皇の子。乱により金欠極まり、37歳に即位した即位式典を59歳に行うほどだった
105代・後奈良天皇/1526年~1557年・31年間
後柏原天皇の第2皇子。武将は下剋上、国土は天災、飢饉、疫病の暗黒期だった
106代・正親町天皇/1557年~1586年・29年間
後奈良天皇の子。織田信長からの支援を受けて朝廷儀式の復興を叶え、約120年ぶりに上皇となった
107代・後陽成天皇/1586年~1611年・25年間
正親町天皇の孫。豊臣秀吉の支援を受けていたが、江戸幕府を開いた徳川家康からは何かと介入を受けた
108代・後水尾天皇/1611年~1629年・18年間
後陽成天皇の子。天皇家の外戚となって皇位継承に介入したい徳川家が莫大な支度金と共に徳川家の娘を入内させてきたため、イラついて譲位した
109代・明正天皇/1629年~1643年・14年間
後水尾天皇の子。約860年ぶり・9回目・7人目の女帝。彼女が即位することにより、徳川の血を引く男児には皇位が渡らなかった
110代・後光明天皇/1643年~1654年・11年間
後水尾天皇の第4皇子。11歳で即位し、天然痘によって22歳で急逝した
111代・後西天皇/1654年~1663年・9年間
後水尾天皇の第8皇子。次代・霊元天皇が成長するまでの中継ぎの天皇。
112代・霊元天皇/1663年~1687年・24年間
後水尾天皇の子。5代将軍・綱吉から多大な援助を受ける。譲位し、80歳近くまで君臨した
113代・東山天皇/1687年~1709年・22年間
霊元天皇の子。父と同じく幕府との関係は良好。近代・現代の皇室はこの天皇の系譜となる
114代・中御門天皇/1709年~1735年・26年間
東山天皇の子。9歳で即位した後、父が急逝したため、祖父の院政下にあった
115代・桜町天皇/1735年~1747年・12年間
中御門天皇の子。1月1日生まれ!
116代・桃園天皇/1747年~1762年・15年間
桜町天皇の第1皇子。行き過ぎた尊王論を学び、幕府との関係悪化の危機を迎える。22歳で急逝
117代・後桜町天皇/1762年~1770年・8年間
桜町天皇の第2皇女で桃園天皇の異母姉。中継ぎの天皇で、10回目・8人目・現在のところ最新の女帝
118代・後桃園天皇/1770年~1779年・9年間
桃園天皇の子。22歳で皇子もなく急逝したことから以後皇統が移動する
■近代・現代
119代・光格天皇/1779年~1817年・38年間
113代東山天皇の皇子の系譜から即位。理想の君主像を模索する。在位38年、院政20年越えの幕末天皇
120代・仁孝天皇/1817年~1846年・29年間
光格天皇の子。父の譲位を受け18歳で即位。47歳に急逝する
121代・孝明天皇/1846年~1866年・20年間
仁考天皇の子。江戸時代最後の天皇。16歳で即位し、その7年後に黒船が来航、攘夷の意思を示す。36歳で急逝する
122代・明治天皇/1867年~1912年・45年間
孝明天皇の子。父の急逝により16歳で即位。その年、大政奉還が上奏され、江戸幕府の歴史が閉じられた。東京に行幸し、そのまま留まり、京都から東京に首都が移った感じになる。文明開化が叫ばれ、日本を一代で列強国とした。日清・日露戦争を経て、59歳で崩御
123代・大正天皇/1912年~1926年・14年間
明治天皇の第3皇子。日本史上初の外遊(大韓帝国)を果たす。療養のため晩年は皇太子を摂政とした
124代・昭和天皇/1926年~1989年・63年間
大正天皇の子。25歳で即位し、ヨーロッパを歴訪して知見を広げた。満州事変、日中戦争、太平洋戦争、終戦。戦前/戦後の激動の時代を生きた。天皇の神格は否定されたが、退位することはなかった。享年87歳
125代・明仁上皇/1989年~2019年・30年間
昭和天皇の第5子にしてはじめての皇子。55歳で即位。2019年、光格天皇以来約200年ぶりに生前退位した
126代・今上天皇/2019年~
明仁上皇の第1子。59歳で即位。年号が令和になる
■参考・ビジュアル百貨 写真と図解でわかる! 天皇〈125代〉の歴史(西東社)
■参考・知識ゼロからの天皇の日本史/山本博文著(幻冬舎)

■ちょっと解説/第126代上皇陛下の呼び方
「○○天皇」という呼び方は諡(おくりな。崩御後の追号)なので、退位された上皇陛下を「平成天皇」と呼ぶことはありません。この場合は「上皇陛下」や「明仁(あきひと)上皇」と呼びます。
同じ理由で、新しく即位された天皇陛下を「令和天皇」とも呼びません。在位中の天皇のことは「今上(きんじょう)天皇」もしくは「徳仁(なるひと)天皇」と表記されます。

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