仁徳天皇 ~(株)仁徳天皇~

歴代天皇

 

いつの人?

・290年生まれ。313年に23歳で即位。399年に109歳で崩御。
ヤマトタケルの孫(応神天皇)の第4皇子にして第16代天皇。
・この時代、朝鮮半島からの渡来人(亡命者)から様々なもの(織物、漢字、学問など)が伝わったとされ、その知識を使ってインフラを整えたのがこの天皇。
・その業績から聖帝(ひじりのみかど)と称されている。

12代・景行天皇 ヤマトタケルのお父さん
13代・成務天皇 ヤマトタケルの異母弟
14代・仲哀天皇 ヤマトタケルの第2子
中継ぎ・神功皇后 摂政。邪馬台国に卑弥呼がいた頃
15代・応神天皇 仲哀天皇と神功皇后の子
16代・仁徳天皇 応神天皇の第4皇子 ←この人!

 

即位までのあれこれ

①父が崩御した時、山川林野の管理を命じられた大山守命(跡取りに選ばれなかった兄)が、菟道稚郎子(末弟にして跡取りに指名された皇太子)から皇位を奪おうと軍勢を整える(大山守皇子の反乱)。

②それを見た大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)が菟道稚郎子に知らせると、菟道稚郎子が大山守命を罠に嵌めてサクッと溺死させてしまう。

③即位が決定したはずの菟道稚郎子だが、なぜか大鷦鷯尊に皇位を譲ろうとする。大鷦鷯尊はあくまで菟道稚郎子を即位させるつもりだったため(大鷦鷯尊は父が末弟に跡を継がせたいと思っていることを見抜いていた)、皇位の譲り合いとなる

④この譲り合いが3年続き(貢物の届け先を巡って海人が右往左往する逸話が残っている)、事態を重く見た菟道稚郎子が自ら死を選んで(『古事記』では病死)、大鷦鷯尊が即位することとなった。

 

皇居は高津宮址碑(大阪府大阪市)。
陵・霊廟は仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵(大阪府堺市)。
日本一デカい前方後円墳であり、世界的に見ても最大級の墳墓だそうだ。

 

 

何をした人?

『日本書紀』によればこう!

・即位元年、難波高津宮に都を移す
・即位4年、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気付き、「うそ、我が国民、もしかして炊事もできないほど貧しい…?」と察して、3年間、課税と労役を全てとりやめる←これが「仁徳」の諡号の由来となる(ただし、5世紀に竈ってあったっけ?という疑問から、作り話じゃね? ともされている)。
・即位7年、3年が経過して再び山の上から国を眺めたらどの家からも煙が立ち上っていたため、諸侯から課税再開を要請される→結局即位10年まで現状維持。
・即位10年、もういいだろとばかりに課役&租税再開。
→宮殿再建!水害防止の池・堤・掘を作る!橋を渡す!都に大道を作る!灌漑用水を引く!国郡の境を分け郷土の産物を記録!→これらの業績から聖帝(ひじりのみかど)と称された。

 

他にも、
・即位53年、上毛野竹葉瀬と田道の兄弟に新羅征伐を命じる
・即位55年、上毛野田道に蝦夷征伐を命じる
・即位65年、武振熊を飛騨に派遣し両面宿儺を征討
など、国土の平定にも努めた。

 

両面宿儺→『日本書紀』仁徳天皇65年の条に登場する、…何?(怪物?)

 

六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之

(現代語訳)
六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷(けいしょう)で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命(すめらみこと)に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣(わにうじ)の祖、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わしてこれを誅した。

 

即位87年、日本書紀では110歳、古事記では83歳で崩御。

 

 

どんな人?

記紀(古事記と日本書紀)には割と好色な天皇として描かれているそうな。

・女官の媛(ひめ)を気に入ったが皇后が嫉妬して召し上げられなかったとか
・異母妹の八田皇女を妃にしようとしたが、またしても皇后の反対でかなわなかったとか
・皇后が出かけた隙にシレッと八田皇女を后に迎えて皇后をブチギレさせたとか
・実家に帰っちゃった皇后の機嫌を取ろうとしたが、怒り収まらず永遠に引きこもられたとか
・別居状態のまま皇后が亡くなった後、改めて八田皇女を皇后に迎えたとか

とはいえ、皇后との間に去来穂別尊(履中天皇)、 瑞歯別尊(反正天皇)、雄朝津間稚子宿禰尊(允恭天皇)らを得たため、しばらくはその系譜が続いた。

 

以後の皇室の流れ

15代・応神天皇 仲哀天皇と神功皇后の子
16代・仁德天皇 困窮する民を見て3年間免税した人
17代・履中天皇 仁徳天皇の子
18代・反正天皇 仁徳天皇の子
19代・允恭天皇 仁徳天皇の子
20代・安康天皇 允恭天皇の子
21代・雄略天皇 安康天皇の弟
22代・清寧天皇 雄略天皇の子。子を産まなかったので、これ以降は履中天皇の系統に移る
23代・顕宗天皇 履中天皇の孫。兄弟の弟の方
24代・仁賢天皇 履中天皇の孫。兄弟の兄の方
25代・武烈天皇 仁賢天皇の子。皇子も皇女ももうけないまま崩御
26代・継体天皇 第15代応神天皇の5世の孫。めちゃくちゃ探し出されて58歳で即位した

 

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