①まず大伴、物部、蘇我とかの豪族
朝廷において、豪族は出自や職能によって、天皇から「姓(かばね。地位のこと)」が与えられていました。
これを氏姓制度といいます。
- 臣(おみ)→畿内(都)の有力豪族
- 連(むらじ)→一定の職掌を以て王権に仕える豪族(軍事・生産など)
- 君(きみ)→地方・畿内の有力豪族
- 直(あたい)→畿内の中小豪族、および渡来系豪族
- 造(みやつこ)→渡来系豪族
- 首(おびと)→畿内の中小豪族
たまに「臣」姓の中から「大臣(おおおみ)」、「連」姓の中から「大連(おおむらじ)」が選ばれたりします。
言うなれば超豪族ですね。
彼らは執政官としての役割を担いました。
- 有名な「大臣」is 蘇我氏。
蔵の管理職(財務省のような仕事)で、斎蔵(宮廷の祭事)、内蔵(大王家の財物)、大蔵(政府関係の蔵)の三蔵を運営・管理する「経済の豪族」だった。 - 有名な「大連」is 大伴氏、物部氏など。
大伴氏は「大(大王)の伴(供)」、物部氏はその名の通り「もののふ(軍事に関連する豪族)」、つまり「軍事の豪族」だった。 - 大臣/大連に次ぐ有力豪族を「大夫(まえつきみ)」と呼ぶ。
有名なのは中臣氏、阿倍氏、和邇(わに)氏、紀(き)氏など。
6~7世紀の政権は、基本的にこの「大王、大臣、大連、大夫」たちで回していました。
ちなみに大王というのは当時の天皇のこと。
昔の天皇は「治天下大王(あめのしたをしろしめすおおきみ)」という、大事なことを全部盛り込んだ感じの名前で呼ばれていたのです。

②第26代継体天皇と仏教の伝来にまつわるあれこれ
そして継体天皇と仏教について。
流れとしてはこう!
<前半の重要人物>
大連・大伴氏(大伴金村)
大連・物部氏(物部麁鹿火)
①506年、第25代武烈天皇が子をもうけないまま18歳で崩御する。
②507年、大伴金村が越国(福井県)で第15代応神天皇の5世の孫を探し出し、第26代継体天皇として擁立。しかしこれに反対する勢力がおり、継体天皇が大和に入ったのは即位から20年後のことだった。
③512年、大伴金村が朝鮮半島の任那四県を百済に割譲(割いて譲り渡す)。
④527年、朝鮮半島で新羅が任那の二県を強奪。これを奪還するため継体天皇が6万人の兵を任那に派遣するが、この軍勢の進行を北九州の豪族磐井(いわい)氏が阻止。
これは、新羅が磐井に賄賂を贈ったとも、単に九州の豪族による大和政権への反乱であったとも言われている(大和軍が朝鮮半島に行くたびに大量の物資や兵を徴発されるので)。
⑤大和軍は任那救済を諦め、磐井と戦闘を開始(527~528年・磐井の乱)。
⑥大和政権が物部麁鹿火(もののべのあらかい)を派遣し、まあ圧勝。
磐井の子は大和朝廷に自らの土地(製鉄の地であり、朝鮮半島との交易の拠点)を献上し、死罪を免れる。この磐井の乱は地方豪族が大和王権に抵抗した最大にして最後の戦いとなった。
⑦その後、大伴金村は軍事面を担当していたにも関わらず活躍できず、また、512年に朝鮮半島の任那四県を百済に割譲した件を糾弾されて失脚、隠居した(→大伴氏退場)
ちょっと時を置いて…
<後半の重要人物>
大臣・蘇我氏(蘇我稲目・蘇我馬子)
大連・物部氏(物部尾輿・物部守屋)
大夫・中臣氏
⑧538年、百済の聖明王が(日本と関係を深め、新羅との戦いを有利に進めたいという思惑で)金銅釈迦像と経典を第29代欽明天皇に贈り、公式に仏教を伝える。
⑨神を祭る仕事をしていた中臣氏(中臣鎌足の先祖)や軍事・裁判担当の物部氏(大連・物部尾輿)は仏教を受けいれることに反対。受け入れようとする蘇我氏(大臣・蘇我稲目)と対立する(崇仏論争)
⑩物部守屋(もののべのもりや)や中臣氏の抵抗むなしく、蘇我馬子が物部氏の擁立皇子(穴穂部皇子。欽明天皇の子)を殺害し、泊瀬部皇子(穴穂部皇子の弟。後の崇峻天皇)を参戦させることで大義名分を得て物部守屋を殺害(587年、衣摺(きずり)の戦い/丁未(ていび)の乱)→崇仏派の蘇我氏が勝利する(→物部氏退場)
(ちなみにこの時、蘇我氏側に聖徳太子(13歳)や後の推古天皇(33歳)も加わっていた)
⑪蘇我氏によって即位した崇峻天皇が自分をないがしろにする馬子を嫌い、これにキレた馬子が崇峻天皇を暗殺→593年、推古天皇(38歳)を日本初の女帝に押し上げる。
⑫推古天皇は当時20歳の聖徳太子を摂政に任命(摂政=天皇に代わって政治を行う役職)→推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子のトライアングルが完成。
⑬それから半世紀が経った645年、蘇我馬子の孫である蘇我入鹿が、中大兄皇子(第38代天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原氏の祖)らから「専横が過ぎる」として討ち取られる(乙巳(いっし)の変)(→蘇我氏退場)
| 崇仏派 | 廃仏派 | |
| 蘇我稲目 | 対立 | 物部尾輿 |
| 蘇我馬子 | 攻撃→ | 物部守屋 |
| 蘇我蝦夷 | …滅亡 | |
| 蘇我入鹿 | ||
| …滅亡 |

蘇我馬子と物部守屋は笑えるほど仲が悪かったそうな…
こうして、大伴氏、物部氏、蘇我氏の三大貴族は歴史から姿を消した(いやどこかにご子孫はおられるんだろうけれども)…という流れになります。
有力貴族みんないなくなってね?大丈夫?と思うかもしれませんが、心配はご無用。
このあと中臣鎌足が興した藤原家がまー大暴れしますんで。
おしまい。

