安倍晴明は921年2月21日~1005年10月31日、「せいめい」とも「はるあき」とも「はるあきら」とも読まれる平安時代の陰陽師(朝廷において占術を行う官職)です。
「朝廷で重要な決断が行われる場面において、中国伝来の「陰陽五行説」で天体観測や暦を作成し、決断の吉凶を占う」のが陰陽師の大事なお仕事。
清明は陰陽師である賀茂氏に陰陽道を学びました。

加茂氏
陰陽道の三道(天文・暦・陰陽)を統括してた陰陽家。
お父さんは加茂忠行、息子(長男)が加茂保憲で、清明はこの両名に師事したと言われているよ。
清明は三道のうちの「天文道」を教わったから、後に「天文博士」となったんだ。
安倍晴明は、藤原道長が得意絶頂だった頃の陰陽師です。
藤原道長の人脈とその時代のオールスター感はすさまじく、
- 「源氏物語」作者である紫式部を自分の長女・彰子の教育係とし、教養を得た彰子を第66代一条天皇(986年~1011年。愛猫家)に嫁がせることに成功した
- 武将・源頼光を、三代に渡って藤原家の侍とした(そしてその頼光の弟の子孫が源頼朝)
そこに陰陽師・安倍晴明が加わるという、完璧な布陣でした。
安倍晴明の経歴
ちょっとよくわかってないことが多い感じです(若い頃のことは特に)。
なので、歴史的な事実より、後になって作られた物語で「不思議な力(呪術)で様々な奇跡を起こした人物とされた」ことで有名になりました。
| ちょっと伝説チックな伝記 |
| ・出生地→諸説あり。 有名な話としては、10世紀の中頃、阿倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住む安倍保名(あべのやすな)という人物が追われていた白狐を助けたところ、その狐が女性に変身し、葛乃葉(くずのは)と名乗るその女性と阿倍保名が結婚して生まれたのが「安倍童子(あべのどうじ/安倍晴明の幼名)だと言われている |
| ・幼少時から不思議な力を持っていた安倍晴明は、人には見えない鬼が見えたり、鳥と会話ができたとされている |
| まあまあ現実チックな伝記 |
| ・成長し、大学寮(貴族の子弟の学校)へ入学。陰陽を学び始める。このときの陰陽博士(陰陽を教える教官)が、陰陽師の賀茂忠行・賀茂保憲父子だった |
| ・安倍晴明は2人の師に指導され、陰陽道の奥義をすべて習得。やがて天文得業生(陰陽道の一分野である天文を学ぶ、特に成績が優秀な学生)となる |
| ・960年、40歳の時点でなお天文得業生であり、陰陽寮に所属して天文博士から天文道を学んでいた |
| ・960年、第62代村上天皇に命じられて占いを行う(出世は遅いが、天皇から指名されるほど高名な占い師だった) |
| ・同年、発生した内裏火災で焼けてしまった霊剣を修理した功績によって、翌年に陰陽師(官職)に任じられる |
| ・この頃、安倍晴明の2人の息子(安倍吉昌、安倍吉平)が天文博士や陰陽助(おんようのすけ/陰陽寮を統括する責任者補佐)に任じられたことで、安倍氏は清明一代の間に師である賀茂氏に並ぶほどの陰陽道の名家となった(のちに賀茂・安倍(土御門)の両家は二大陰陽道宗家となる) |
| ・970年、陰陽少属に昇進 |
| ・971年、51歳で天文博士の兼任が認められる |
| ・977年、賀茂保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現し、第65代花山天皇の信頼を受けるようになる |
| ・花山天皇の退位後は、第66代一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになる(993年2月、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊を奉仕したところ、たちまち病が回復したため、正五位上に叙されたという) |
| ・1004年7月、深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたら本当に雨が降った |
| ・天文道で培った計算能力を買われて主計寮に異動し主計権助を務める。その後、様々な官職を歴任・昇進し、陰陽寮を束ねる陰陽頭に就任することはなかったが、位階はその頭より上位となった |
| ・1005年に85歳で死亡。死因は不明 |

意外に長生き…
こんなところでナンだけど、平安時代の身分表
| 公卿(貴族) 正一位、従一位 正二位、従二位 正三位、従三位 |
| 諸大夫(貴族) 正四位(上/下)、従四位(上/下) 従五位(上/下)、従五位(上/下) |
| 侍 正六位(上/下)、従六位(上/下) 正七位(上/下)、従七位(上/下) 正八位(上/下)、従八位(上/下) 大初位(上/下) 少初位(上/下) |
| 一般庶民 無位 |

末裔と子孫
後裔とされる家柄としては、安倍氏嫡流の「土御門家」、江戸時代にそこから分家した庶流「倉橋家」が、明治以降に子爵に列せられているよ。
子孫はいる(?)けど、養子の血筋であったり、男系ではなく女系を経ることで存続している家系なんだって。

安倍晴明が起こしたと言われる奇跡・伝説
あまり記録が残っていない一方、色々な作品が書かれたために史実と虚実がごちゃまぜになってる感じ。かも。
| ・晴明は必要に応じて様々な式神を作り、掃除やお茶出しといった家の中の雑用をさせていた |
| ・外出中、鬼が近付いてきたことを察した清明が術を使って身を隠し、師である賀茂忠行を鬼から救う。このことで忠行は晴明が優れた才能を持つことを悟り、陰陽道のすべてを教え込んだという |
| ・979年、当時皇太子だった花山天皇の命令で那智(和歌山県)の天狗を封じる。以降、安倍晴明は花山天皇からたびたび陰陽道の儀式や占いを依頼されるようになった |
| ・花山天皇は頭痛を患っており、雨の日は特に痛んだ。晴明は天皇の前世が優れた行者であることを見抜き、「前世の髑髏が岩の隙間に挟まっているから雨の日にひどく痛むのだ」と説明する。晴明は髑髏のある場所を指し示し、使者が髑髏を取り出すと天皇の頭痛は治まったという |
| ・993年、一条天皇の病気を治す |
| ・1004年、深刻な水不足に悩む人々を救うため、藤原道長が安倍晴明に雨を降らせるように指示。雨ごいの儀式を行い、雨を降らすことに成功する |
| ・藤原道長の可愛がっていた飼い犬が道長の外出を止めようとするので、不審に思った道長が晴明に占わせたところ、呪術師の蘆屋道満(あしやどうまん)が、道長に対して呪いをかけようとしていたことが発覚。安倍晴明が式神を使って蘆屋道満を追放した |

蘆屋道満(星5アルターエゴ)
「宇治拾遺物語」や「今昔物語集」などの逸話では、清明と道満が呪術や術比べをし、道満が敗れて追放されるエピソードが有名。
実際には「清明は朝廷に仕えた官人陰陽師」、「道満は民間の呪術者/法師陰陽師」で、さして接点がないみたいなんだけどね。
陰陽師というのは、忍者や侍と並んで「想像しやすい」職業なのかもしれませんね。
おしまい。

