源頼光は948~1021年、平安時代中期の武将で、清和源氏流 摂津源氏系 多田源氏(←清和天皇の血筋を引く源氏であり、父が武士団を形成した摂津国多田の源氏である)(摂津国は現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)。
- ひいおじいちゃん is 第56代清和天皇の第6皇子
- おじいちゃん is 源経基(つねもと/藤原純友の乱を鎮圧した功績が有名)。
臣籍降下して源姓を賜り、「清和源氏」の祖となった頼光の祖父 - おとうさん is 鎮守府将軍・源満仲
- こども is 長男として生まれたのが頼光。
幼名は文殊丸(かわいい)、後に「頼光」となる(「よりみつ」とも「らいこう」とも読まれる)
主君は藤原兼家→道長→頼通。
父が形成した摂津国多田の源氏武士団の継承者ではありますが、むしろ藤原摂関家の家司としての貴族的なふるまいを評価されることが多い武将です(武士でありながら、中央政府において貴族貴族に匹敵するほど高い地位を得、戦場ではなく主に都にいた)。
この「武士の地位を向上させた」頼光の活躍が、のちに鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝が行う武家政権の礎となったのでした。
| 66代・一条天皇/986年~1011年 円融天皇の第1皇子。藤原道長が摂政となり、「一帝二后」を強行された。崩御後、「王が道理にかなう政治をしようとすると、邪悪な臣下が国を乱れさせる」というメモが見つかったとか |
| 67代・三条天皇/1011年~1016年 冷泉天皇の第2皇子。藤原道長の全盛期で、譲位を迫られ5年で退位した。「自分の身体の加減がいいと左大臣(道長)の機嫌が悪い」とぼやくほど不仲だったとされる |
| 68代・後一条天皇/1016年~1036年 一条天皇の子で藤原道長の孫。9歳で即位し、道長を得意の絶頂にさせる。29歳で崩御 |

有名な武将・平将門(903~940年)とはギリギリかち合わないんだよね。
源頼光の経歴と功績
- 若年の経歴は不明
- 文武両道であり、特に武略に長け、弓術や剣術を得意としていた逸話が数多く残されている
- 20歳前後で出仕し、970年(22歳)に但馬国(兵庫県北部)、伊予国(愛媛県)、摂津国の受領を歴任
- 摂関家と接近することによって地位を固めていくという父のやり方を受け継ぎ、藤原氏に臣従して官職を得、財力を蓄えていった。
たとえば988年(40歳)には、摂政藤原兼家の新築のお祝いに馬30頭を贈っている - 986年頃(38歳)、居貞親王(三条天皇)が皇太子となった際に、春宮権大進(とうぐうのごんだいしん。皇太子の一切の家政、事務を取り仕切る役職)に任じられる
- ↑以後20余年に渡って仕えた。居貞親王に命じられ、蟇目(ひきめ。穴の形がひきがえるに似ている的を傷付けない)の矢で狐を射った逸話が有名。この頃、藤原道長の主催した競馬などにも参加している
- 990年(42歳)、関白・兼家の葬儀に際し、藤原道長の振る舞いに感心して側近として従うようになる
- 997年(49歳)、父・満仲が亡くなり、その地位を受け継ぐ
- 1016年(68歳)、後一条天皇の即位に際して昇殿を許される
- 1018年(70歳)、摂政の藤原道長の邸が焼失した折、同邸の改築に際し、自邸内の家具、調度一切を贈って道長を喜ばせた。
その後、道長の権勢が増すと、側近となった頼光も武門の名将「朝家の守護」と呼ばれるようになっていく。同じく摂関家に仕え武勇に優れた弟の頼信と共に後の清和源氏の興隆の礎を築いた - 1021年8月29日、74歳で死去。当時としては長命であり、遺体は清和源氏の本拠であった多田に埋葬された

武士というより殿上人(天皇の住まいに昇ることを許された中流以上の貴族)なんだよね。
とはいえ、自分は「清和源氏」を継いで盛り上げ、弟・源頼親は「大和源氏」を、弟・源頼信は「河内源氏」を成立させて盛り上げたよ。
有名な源頼朝は「河内源氏」の7代目なんだ。
化け物退治の名武将
後世に成立した『今昔物語集』や室町時代になって成立した『御伽草子』などによって
- 丹波国・大江山での酒呑童子討伐
- 土蜘蛛退治
の説話が広く知られています。
大江山鬼退治
| ①1018年、一条天皇より大江山の夷賊追討(「土蜘蛛」と呼ばれる、中央政府に従わない野蛮人や盗賊たち)の勅命を賜る (むかしむかし、京都の大江山には酒呑童子という鬼がいて、都で財宝を盗み、姫をさらうので、人々にとても恐れられていました) |
| ②頼光四天王「渡辺綱」「坂田金時」「碓井貞光」「卜部季武」「名将・藤原保昌」「嫡男・源頼国」+50人くらいで摂津国大江山へ (安倍晴明に相談した一条天皇は源頼光に鬼退治を命じます。神仏の加護を受け、山伏に姿を変えて大江山に赴いた頼光は、酒好きな酒呑童子を訪ね、毒酒を進呈しました) |
| ③鬼の一族の首領の名は酒呑童子といい、茨木童子、星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子など多くの鬼を従えていた (酒好きな酒呑童子は大好きな酒に大喜びし、子分達に声を掛けて、大宴会で大盛り上がり) |
| ④頼光らは山伏の姿に変装し酒呑童子に接近、接待を受けると、手土産の酒に眠り薬入れて飲ませて成敗したと伝わっている (頼光は酔ってつぶれた鬼達の首を次々と斬首。こうして四天王たちと共に大江山の鬼を絶滅させたのでした) |
頼光四天王
| ①渡辺綱(わたなべのつな) 四天王の筆頭。京都の一条戻り橋の上で茨木童子の腕を切り落とした話が有名(この時、鬼を斬った「髭切」を「鬼切丸」と呼ぶようになった)。嵯峨源氏であり、正式な名乗りは「源綱(みなもとのつな)」 |
| ②坂田金時(さかたきんとき) 相模・足柄山の「金太郎」で有名。その成人した姿 |
| ③碓井貞光(うすいさだみつ) 弓の名手。姑獲鳥の赤子をあやしたり、盗まれた髭切を滝夜叉姫から奪い返す物語がある |
| ④卜部季武(うらべのすえたけ) 坂上田村麻呂の血筋に連なる武士。でかい |
| +名将、藤原保昌 四天王ではないが、よく同行する人。「道長四天王」人にして和泉式部の夫。のちに摂津国平井に住んだことから平井保昌とも呼ばれる |
| +頼光の長男、源頼国 |

道長四天王(一堂に会す仲ではなく、ただ優秀な四人を指す)
・平維衡(これひら)平将門の乱を平定した平貞盛の四男で、伊勢平氏の祖。平清盛の5代前の先祖
・平致頼(むねより)坂東平氏の子
・藤原保昌(やすまさ)武人にして歌人
・源頼信(よりのぶ)頼光の弟で河内源氏の祖。源頼朝の6代前の先祖
武器コレクション①頼光が酒呑童子の首をはねた刀・「童子切安綱(どうじきりやすつな)」
| 銘/安綱 |
| 鑑定区分/国宝(天下五剣。最古) |
| 刃長/80 |
| 所蔵・伝来/源頼光→足利家→豊臣秀吉→徳川家康→津山松平家などを経て東京国立博物館 |
| 天下五剣に選ばれている太刀。源頼光が京都の大江山で酒呑童子を退治したため、この名前が付けられた。 元々は坂上田村麻呂が鈴鹿御前との戦いで使用し、そのあと伊勢神宮(現在の三重県)に納められていた太刀で、源頼光が参拝した際に夢の中で託宣があり、伊勢神宮から下賜されたと伝えられている。 江戸時代の試し切りでは六ツ胴(6体の死体を重ね斬りできた)を記録し、すさまじい切味であることが証明されている |
武器コレクション②「蜘蛛切(くもきり/膝丸/薄緑)」
| 銘/□忠 |
| 鑑定区分/重要文化財 |
| 刃長/87.6 |
| 所蔵・伝来/源氏→熊野権現→源義経→箱根権現→五郎時致(曽我兄弟)→源頼朝→大友能直→田原家→西園寺家→安井門跡→大覚寺 |
| ①元々は、源頼光の父、源満仲が源氏重代の刀として作らせた1振。 刀工に頼み、2振を作刀。試し切りをしたところ、罪人の首から膝のあたりまで切れたので、1本は「膝丸」(ひざまる)、もう1本は罪人の髭まで切れたので「髭切」(ひげきり)と名付けられた。 ②この刀を受け継いだ源頼光が枕元に現れた蜘蛛のような妖怪を退治したことで「膝丸」が「蜘蛛切」に改名される ③その蜘蛛切がやがて蛇のように終夜鳴くようになったので「吼丸(ほえまる)」に改名 ④さらに源義経が源氏の宝刀・吼丸を受け継いだことが嬉しくて、熊野の春山の景色から「薄緑(うすみどり)」に改名 |

侍!刀!浪漫が始まったね!
おしまい。
